みなさん、こんばんは!
モミおっさんです。
世の中すっかり受験ムードですね!
受験といえば?
神頼み!
モミが現在住んでおります九州では
やはり大宰府天満宮。
学問の神様・菅原道真公が祀られている
とかでワラをもすがる想いでお参りする
受験生も多いのでは?
モミは無神論者なのですが
受験の前には気分転換に湯島天神に
お参りに行ったもんさ。
ところで、
「天満宮」や「天神」って何だ?
他にも神宮、大社なんかあるよね。
モミの故郷・千葉県船橋市には
船橋大神宮なんてのもある。
伊勢神宮が一番だとしたら
その上に行くんだろうか、船橋大神宮笑
そこで今回は神社の格について勉強してみたいと思います。
神社の格式について。
神社には戦後、GHQが発した
神道指令により平安時代より続く
国家神道が廃止されるまで
神社の格付けみたいなものがありました。
延喜式という史料によりますと
朝廷からお供え物が貰える神社を
官社といい、官社の中でも
神祇官の管轄である「官幣社」と
国司の管轄である「国幣社」に分けられます。
ちなみに神祇官の
神は天津神である「天神」を、
祇は国津神である「地祇」を指します。
・・・出た。
「天津神」と「国津神」。
メガテニストの興味があさっての方に
行きそうになるのをぐっと堪えて続けます。
天津神とは天照大御神を筆頭に
高天原、天界?にいる神々を指し、
国津神は大国主神を主神とする
地に現れた神々の総称とされています。
「津(つ)」は現代で言うところの「の」
であり、天の神、地の神とも言うそうです。
天皇家のご先祖は天照大神ということに
なっておりますので天皇のご先祖様は
天津神系ということになります。
ということは?天津神は
天から来た神=他所から来た
という考えもあるそうで・・・
国津神の文献もまともには残っておらず
天津神側の書物による歴史しかないそうです。
そうして長い時間をかけて勝者のみの視点で
紡がれうやむやにされた空白の歴史が
どんなものだったのか・・・?
この辺はデリケートな問題だから
触れないでおきましょう。
そこで天津神の主祭神・天照大神を
祀っている伊勢神宮が日本で一番
格式の高い神社ということになります。
日本で一番、というか
比べること自体が無意味というぐらい
別格な扱いをされています。
という意味では日本で一番は
出雲大社である、とも言うそうです。
では、船橋大神宮は?
船橋大神宮は社名を意富比神社(おおひ)
といい、船橋大神宮は俗称。
意富比神社は船橋一帯を伊勢神宮に寄進され
次第に天照信仰が強くなっていき
本当の名前を忘れられ(オイ)
船橋神明、船橋大神宮と呼ばれるようになったそう。
このように戦後、神道が廃止された後は
比較的自由に、ならわしなんかで
名乗ったり、呼ばれるようになった模様。
それを踏まえて元々どういう分類が
されていたのか、大まかに見てみましょう。
ホントに大まかになんで
「そこは違うと思います」とか言わないでくださいね。
・神宮:
天津神(天皇)を祀った神社
・大社:
国津神を祀った神社
・天満宮:
菅原道真公を祀った神社
全国1万2千の天満宮の総本山は太宰府天満宮。
・八幡宮:
八幡神を祀った神社
総本社は大分県のUSA・宇佐神宮。
天満宮とは天神や天満神社、菅原神社と
なっていることもありまして
天満の名は祭神である菅原道真公が
贈られた神号・天満大自在天神からきたとされています。
天満とは元々
「公の怨霊が雷神となり天を満たす」
というなんとも恐ろしい起源なのですが
その呪いの記憶が薄れ、
また優秀な学者であった菅原道真公にあやかり
学問の神様として崇められるようになりました。
ちなみに道真公の呪いは
人々の脅威となり、
前述の大自在天(シヴァ神)や
大威徳明王(ヤマーンタカ)と関連付けられるようになりました。
ちなみにシヴァは言わずと知れた
ヒンドゥー教の最高神の一柱。
大威徳明王は五大明王の一尊で
西方の守護者。
・中央:不動明王[大日如来]
・東方:降三世明王[阿閦如来]
・南方:軍荼利明王[宝生如来]
・西方:大威徳明王[阿弥陀如来]
・北方:金剛夜叉明王[不空成就如来]
[ ]内は各明王の自性輪身の姿。
密教には如来が導く相手の性質によって
三種の姿を取る三輪身という考えがあり、
その如来様が言う事を聞かない相手を
力ずくで?説き伏せるためにとる姿のことを
教令輪身といい、怒り、武器を携えた姿で表されます。
それが[ ]の前に記述した、
不動明王や大威徳明王なわけです。
なるほど、みな威圧的な恐ろしい顔をしていますよね。
ヤマーンタカは「死神ヤマをも降ろす者」
の意で、死神ヤマはご存知地獄の閻魔様の事。
そんな恐ろしい存在の呪いと思われ、
恐れられていたわけですね。
それほど大きな災厄が起こっていたということですね。
八幡とは応神天皇の神霊八幡神のことで
八幡の幡は旗のこと。
これは神功皇后の三韓征伐のときに
対馬に寄った際に八つの旗を祀ったといわれ
そこから八幡という言葉が生まれたそう。
三韓征伐とは応神天皇の母である神功皇后が
朝鮮の新羅に出兵し降伏させたのち
百済と高句麗をも日本の支配下に治めたという
戦争のこと。
まとめ。
呼び名は長い年月をかけて
風化され、書き換えられているようなので
「神宮は天津神」
といったコレだからこう!みたいな
絶対的な定義はないみたい。
なので参考程度に昔はああだったんだな、
と思うようにしときます。
受験生はとりあえず大宰府行っとけば
間違いないみたいですよ。