エンジェルスの大谷選手の活躍、
目覚ましいですよね。
まだ若いのにも関わらず
誰にも成し遂げられなかったようなことを
やろうとしています。
その上、背も高く男前、ときたら
世のお父さんお母さん
「ウチの子もぜひ大谷君みたいに!」
と思いますよね。
そこで今回は大谷君が幼少時代、
どう過ごし、どのような教育方針で育てたのか
を調べてみたいと思います。
高校までの生い立ち
岩手県奥州市出身。
社会人野球の選手だった父と
バドミントンの国体選手だった母を持つ
スポーツマン両親の末っ子として生まれる。
幼少時はバドミントンと水泳を
していたそうで、
野球を始めたのは小学校2年生の頃で、
3年生になると既にリトルリーグで
全国大会出場を果たしているそう。
そして5年生で球速110㌔/hを記録!
当時のキャッチャーが
「体が逃げてしまう程、球が速かった」
と語っています。
そして時は流れ中学へ。
一関リトルシニアというチームで
全国大会に出ているそう。
その中学時代のエピソードとして
・1年の時120m級の場外ホームランを放ち
信号機を破壊した
・6回までの試合で18アウトのうち17アウトを
三振で奪った
・球速は120㌔/hを超え決め球は高速スライダー
と、常軌を逸していますね。
少なくとも普通に野球をしていた、
では済まされない実績ですよね。
また、彼の性格を表すエピソードとして
当時河川敷のグランドで練習していた
大谷少年は高価な硬球ボールを
引っ張るバッティングで川に入れてたそう。
それに困った当時の監督が
「球がなくなるから引っ張り禁止!」
と冗談まじりで言ったところ
ムッとした様子の大谷少年は流し打ちで
川に入れていたという。
負けん気が強いんですね。
高校~
菊池雄星(西武ライオンズ)に憧れ
花巻東高校に進学。
目標として
・「日本一になる」
・「日本人最速となる163㌔/hを記録する」
・「ドラフトで菊池雄星を超える8球団から
1位指名を受ける選手になる」
事を掲げました。
入部後は監督の方針で
「まだ骨が成長段階にあるため、1年夏までは
野手として起用しゆっくり成長の階段を昇らせる」
ことになりました。
それでも2年の夏には骨端線損傷の
ケガをしているので1年の時に
無理をさせられていたら今の大谷はなかったのかも?
ちなみに高校時代の球速は
・1年秋:147㌔/h
・2年春:151㌔/h
・3年夏:160㌔/h
だそう。
ちなみにアマチュアで160㌔は史上初だそう。
プロでも滅多に投げる人いませんもんね。
気になる教育方針は?
大谷選手を育て上げたご両親によると
特別なモットーや家訓などはなかったそう。
ただ、真剣に愛情を持って
大谷少年にも野球にも接していたようですね。
ただ、普通ですよね!?
皆さん、自分の息子が野球頑張ってたら
そりゃ真剣に応援しますでしょ?
まとめ。
よく、色んな筋の一流どころが
「99%の努力と1%の才能」
とか言いますよね。
自分も、若いころは
「努力しきれることこそが才能」
とか思ってましたけど、
最近はいくら努力しても越えられない壁って
あるよなー、と思うようになりました。
二刀流としてよく比較される
ベーブ・ルースが約100年前の人物と考えると
100年に一人の逸材は作ろうと思って作れるものではないのかな、と思いました。